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箱根の寄木細工と、ロシアの宮殿の寄木細工

みなさま、こんにちは。

台風が近づいているそうですね。
明日、関東地方直撃だそうです。

先週箱根に行った時、寄木細工の写真も撮ってみたので
ご紹介いたします。

≪日本の誇る伝統工芸の寄木細工≫
日本の一家に一つくらい寄木細工の小箱などあるのではないでしょうか?
それって、神奈川県民だけの常識でしょか???
みなさんのお家には、箱根の寄木細工の商品はありますか?

問題です。
↓の写真の寄木細工のうちどの模様が最も難しい模様でしょうか?
(ヒント:左下の職人さんの手)
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答え↓↓↓中央の様々な多角形の木で作られたデザインです。
072.jpg
この複雑な模様は江戸時代からあり、最初の寄木細工だそうです。
唯一機械で作れない寄木細工だそうです。
この他の寄木細工は、主に45度の角度に色の木を会わせて様々な模様を作ります。

職人さんは、同じ材料で様々な模様を一瞬で作り上げて見せてくれました。
まるでマジシャン。


寄木細工は様々な色の木を組み合わせて模様を作ります。
068.jpg



模様になるように組んだ寄木は、金太郎飴の様になります。

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↑金太郎飴状態の寄木細工です。分りますかね?
すでにかなり削って薄くなってしまっていますが、よく見ると分ると思います。
この表面を薄く削って、箱や御盆などに貼り付けます。



016.jpg
表面をカンナで削るとこのようになります。
一枚プレゼントしていただきました。
ありがとうございます。


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この鰹節の様に薄く削ったものを
箱の側面や、御盆などの商品に貼り付けます。

素晴らしい技術です。

≪箱根の寄木細工とロシアの宮殿の床の寄木細工≫

みなさんご存知でしょうか?
サンクト・ペテルブルグの宮殿の床は、
寄木細工で模様で飾られているところが多くあります。

ガイドブックやガイドさんは、宮殿の床の素晴らしい寄木細工を必ず紹介します。
10色以上の木を組み合わせて作られた床の模様は、
とても技術が高く、とても高価な床ですと自信満々に紹介されるのですが、
箱根の寄木細工を昔から知っている私は、そんなにすごいのかな??と思っていました。

良く考えれば、床の様な大きな面積を飾る寄木細工は、確かにすごいです。
宮殿の寄木細工は宮殿らしく、美しい模様です。
エルミタージュにも、とても美しい寄木細工の床があったと記憶しています。

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ロシアの寄木細工の床は曲線でヨーロッパ風で美しいです。


サンクト・ペテルブルグの宮殿には
もっと美しい寄木細工の床が沢山ありますが、
残念ながら持っている写真はこれだけです。
次回行く時に沢山写真撮ってきます。


この床の寄木細工はどこから伝わった技術なのでしょうか?

マトリョーシュカだけではなく、
箱根の寄木細工の技術もロシアに伝わった可能性もあるのででしょうか?

それとも、寄木細工の床はヨーロッパでは流行っていたのでしょうか?
ヨーロッパから伝わったのでしょうか?


ロシアの宮殿の床の寄木細工について、調べてみようかと思います。

ご存知の方いらっしゃいましたら、教えてください。


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ロシアのボビンレース(6) ミハイロフ・レース

みなさん、こんにちは。

赤が特徴的なロシアのボビンレース「ミハイロフ・レース」についてご紹介いたします。

ミハイロフ 大 構成

サイズ変更a 170
ミハイロフ・レースは、ロシア民芸品ホフロマ塗りや、グジェリの食器と良く合います。


ミハイロフ・レースの基本色は昔からです。
赤に黄色、緑・黒・水色が加えられたレースが、ミハイロフ・レースの特徴的なレースです。
サイズ変更ショップ用写真 005  サイズ変更ショップ用写真 009

装飾性の高いカラーのミハイロフ・レースは、織物柄と刺繍と調和し女男の祝祭用衣裳を飾りました。
19世紀の民族衣装ミハイロフ レース
19世紀のロシアの民族衣装の袖
袖口の部分がミハイロフ・レースです。


≪ミハイロフ・レース≫
ミハイロフとは、モスクワから南西に約200キロのリャザン地方のプロニ川岸に位置する古都の名前です。この地でとても美しいミハイロフ・レースと名づけられたレースが誕生しました。色付きのミハイロフ・レースについての最初の記述は18世紀中ごろです。

ミハイロフ・レースは、ヴォログダ・レースやエレツ・レース、ヴャトカ・レースなどのロシアの他のレースとは、編み方、色彩、模様で全く異なります。

ミハイロフ市の農家ではカラーのレース編みは古くから存在し、農民の副業として短期間で広まりました。ミハイロフ・レースは早い時期から商業的要素があり、ロシア国内だけではなくトルコやイラン等の海外にも輸出されました。

≪編み方≫
ミハイロフ 編んでるところ   レース編んでるミハ

ミハイロフ・ボビンレースは、「数式レース」と呼ばれる昔から伝わる技法で編まれています。この技法はとても珍しい技法で、他のボビンレースの様な下絵を必要としません。ミハイロフ・レースは、模様を作るために必要なボビンの数に従いながら記憶で編みます。そのため「数式レース」または「数えレース」と呼ばれるようになりました。
ミハイロフ・レースは太い糸で編まれます。

数式のミハイロフ・レースにとって特徴的なのは、「小鈴」「岬」「街」「孔雀」「バラライカ」などと名づけられた扇型モチーフレースの模様、花綱飾り、歯状装飾です。
ミハイロフ бубенцы←小鈴   ミハイロフ павлинка←孔雀
ミハイロフ балалайки←バラライカ

ミハイロフ・レースはサンクト・ペテルブルグのロシア美術館やモスクワ民族博物館、ロシア外務省の文化センターなどに展示されています。また、プラハやヘルシンキ、ベルリン、ドレスデン、パリ、ルクセンブルグ、ブリュッセルで展示されました。


現在のミハイロフ・レースをご覧ください。
現在は赤だけではなく、水色や白、様々な色で編まれています。
サイズ変更ショップ用写真 018

2009年3月 ベラルーシ、ロシア 030

2009年3月 ベラルーシ、ロシア 023

2009年3月 ベラルーシ、ロシア 021

2009年3月 ベラルーシ、ロシア 035





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ロシアのボビンレース(5) ミハイロフ・レース

みなさま、いかがお過ごしでしょうか。

今日は色について少しだけ考えてみましょう。


日本で一番愛されていた色は何色でしょうか?
金色でしょうか、はたまた藍色でしょうか?それとも朱色?

やはり、ジパングなので金色でしょうかね。
絵の背景や蒔絵、金の茶室や、金のシャチホコなど、
日本ほど金を愛した国民は、他に類を見ないのではないでしょうか。



では、ロシアで最も愛されていた色は、何色でしょうか?


それは、です。
赤は、ロシア人にとって特別な色でした。


「赤の広場」は、なぜ「赤の広場」と名付けられたかご存知でしょうか?
赤いからではありません。
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モスクワの赤の広場
DSC01600.jpg
モスクワの赤の広場

古いロシア語で、「赤」を意味する形容詞「クラースヌィー」は、
「美しい」という意味でした。
赤の広場は、「美しい広場」なので「赤の広場」と名付けられました。
(ちょっとややこしいですが。。。)

ロシアの昔の祝祭用の服を見ても、赤の刺繍やレースで飾られたものが多く見られます。
婚礼の衣裳オリョール地方19世紀終わり20世紀初頭 小19世紀ヴォログダ地方 Костюм женский праздничный, конец 19в - 1910е гг. Костромская губ.
(1)オリョール地方   (2)ヴォログダ地方   (3)コストロマ地方



また、ソ連と言えば「赤」ですよね。
赤の国旗、旗、ポスター、赤軍などなど。
ソ連の国旗
ソ連の国旗


その他、ロシアの大学では、首席の生徒のみ「赤の卒業証書」
(20cmほどの本の様なもの)をもらいます。
名前だけと思っていましたが、実際「赤」の卒業証書でした。
ちなみに、それ以外の生徒は紺色でした。
赤の卒業証書
ロシアの「赤の卒業証書」


赤は、ロシアにとって特別な色でした。 


その赤のレースと言えば、ミハイロフ・レースです。

サイズ変更ショップ用写真 009 ミハイロフ・レース クロス サイズ変更ショップ用写真 005 ミハイロフ 編んでるところ
 

次回は、赤が特徴的なミハイロフ・ボビンレースについてご紹介いたします。


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マトリョーシカの続き(イースターエッグ)

みなさま、いかがお過ごしでしょうか?

今日も朝から涼しいですね。
夏も終わりでしょうか。

マトリョーシカのご先祖様」について書きましたが、そのつけたしです。

≪マトリョーシカについて≫‐Wikipedia露語より意訳(ご紹介済み)
ロシアのマトリョーシカの形は、V.P.ズビョズドチキンによって1890年代に作られたものを元にしています。マトリョーシカの最初の絵付けは、画家のS.V.マリュチンがしました。
ズビョズドチキンの回想によると、ズビョズドチキンは彫って作られた日本の木製玩具を見ていなかったそうです。その上、マトリョーシカが現れる前に、職人は、分解できる中が空洞の木製のイースターエッグを作っていました。以上から、日本とロシアのマトリョーシュカについての直接的な継承性はまだ解明されていません。
1900年に、S.I.マーモントフの妻のM.A.マーモントヴァは、パリで開催された世界万博にマトリョーシカを出品し、銅メダルを受賞しました。
その後、マトリョーシカはロシア各地で作られるようになりました。

上の文章で下線を引いた、分解できる中が空洞のイースターエッグが
我が家にあるのでご紹介いたします。


≪分解できる中が空洞のイースターエッグ≫

IMGP3652.jpg
表には油絵(?)で子供2人と犬の絵が描かれています。
(イコンと同じ技法で、木の表面を削って石工を塗ってから、絵を描いています。)

IMGP3653.jpg
横  
丁寧に模様が彫られているのが分ります。

IMGP3654.jpg
裏は丁寧に模様が彫られていて、「XB」と大きく彫られています。
「XB」とは、ロシア語でキリストの復活の略です。
つまり、イースターエッグです。

IMGP3655.jpg
ロシア語のWikipediaに書かれている様に、
分解できる中が空洞の木製のイースターエッグです。

この作品は20世紀初頭のものだそうです。
2年前に表参道のアンティークショップで見つけて、
「もしかして、噂の玉子型マトリョーシカ???」と思い、
店員さんに開けて見せてもらったところ、中が空洞でがっかりしました。。。。
きっとお菓子などを入れたのではないか?とのことです。

でも、目が合ってしまったので衝動買いしてしまいました。
このイースターエッグは、パリで仕入れたもので何年もずっと売れなかったそうです。。。


この作品が、日の目を見るなんて嬉しい限りです。


インターネットで、木製の割れるイースターエッグについて調べたところ、
おとぎ話の場面が描かれているものや、
イースターエッグ全体に綺麗に模様が彫られているものなどが、
ロシアのアンティークショップでちらほら売られています。
どれも19世紀終わりから20世紀初頭のものです。


このイースターエッグは、マトリョーシカと同じように回しながら中がくりぬかれた跡があります。作業工程は、ほとんどマトリョーシカと同じようですが、このイースターエッグはマトリョーシュカが生産され始めた時期と同時期の作品なので、木製のイースターエッグがマトリョーシカの御先祖さまかは、なんとも言えません。


1世紀ちょっと前のマトリョーシカのルーツを特定するのが、
そんなにも難しいことなのですかね。


早く明らかになってもらって、スッキリしたいものです。

マトリョーシカのご先祖様をご紹介!!

みなさま、
いかがお過ごしですか?

私は暑くて、珍しくあんまり食欲がないです。
インフルエンザには気をつけなくては。。。


ここ数年ずっと、日本でロシアのマトリョーシカが人気ですね。
最近は、木の人形だけではなく、キャラクターとして色々なものにプリントされて大活躍しています。

マト2
「出典Wikipedia(露語)」

マト3
「出典Wikipedia(露語)」

≪豆知識≫
「マトリョーシカ」とは、19世紀後半にロシアで一般的な女性の名前だった「マトリョーナ」の愛称です。日本語に訳すと「マトリョーナちゃん」です。
現在「マトリョーナ」という名前は聞いたことがありません。
日本でいうと、「花子」みたいなものですかね。


≪マトリョーシカのご先祖様≫
マトリョーシカのご先祖様をご存知の方も多いと思います。
そうです、何を隠そうマトちゃんは元々日本からロシアにやってきました。
だからか、日本人はマトリョーシカに異様な愛着があるのかもしれませんね。


ロシアの大学でロシア民芸品の授業「マトリョーシカ」について聴講しました。
その際、おばあちゃん先生は、
「マトリョーシカのルーツは、日本の箱根の入れ子人形です。」とお話していました。
その時初めて、「こけしじゃなかったんだ~。」と知り、
いつか「入れ子人形」を探してみようと思ってから7年ほど経過してしまいました。

(注:Wikipediaでマトリョーシカについて読んでみると、起源について説がいくつかあるようです。もしかしたら、箱根の入れ子人形が起源でない可能性はあります。)


昨日箱根に行ったので、
ふと思い出して、マトリョーシカのご先祖様でも探してみようと、
初めて探してみたら、とっても簡単に発見いたしました!!

皆さまにご紹介たします。
マトリョーシカのご先祖様の日本の入れ子人形です。

ジャッジャ~ン!!

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重要文化財だそうです。
右奥にマトリョーシカも飾ってあります。
手前に玉子型が置いてありますね。ロシアで、マトリョーシカは元々玉子型だったと、聞いたことがあります。これのことですかね??それにしても、「三十六玉子」って日本の職人技すごすぎます。


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下の紙:「海を渡った七福神がマトリョーシカになりました。」
*上2枚の写真は店主の許可を得て撮影しました。


↑↑この七福神がマトリョーシカのご先祖様です!!
ありがたいですね~。


≪撮影場所≫
このマトちゃんのご先祖様は、
箱根の関所近くの寄木細工のお店に飾ってあります。
関所に向かって左側の「何とか本店」さんです。
興味のある方は、関所近くで是非探してみてください。
撮影する際は、優しい店主に聞くと良いと思います。

ここ以外にもいろんなお店で展示していました。


≪マトリョーシカについて≫‐Wikipedia露語より意訳
ロシアのマトリョーシカの形は、V.P.ズビョズドチキンによって1890年代に作られたものを元にしています。マトリョーシカの最初の絵付けは、画家のS.V.マリュチンがしました。
ズビョズドチキンの回想によると、ズビョズドチキンは彫って作られた日本の木製玩具を見ていなかったそうです。その上、マトリョーシカが現れる前に、職人は、分解できる中が空洞の木製のイースターエッグを作っていました。以上から、日本とロシアのマトリョーシカについての直接的な継承性はまだ解明されていません。
1900年に、S.I.マーモントフの妻のM.A.マーモントヴァは、パリで開催された世界万博にマトリョーシカを出品し、銅メダルを受賞しました。
その後、マトリョーシカはロシア各地で作られるようになりました。


≪マトリョーシカについて資料≫
(以下2007年ロシア文化フェスティバル組織委員会作成のパンフレットより抜粋)
1890年パリ万博で初めてお目見えして、一躍世界的に有名になった木製の組み子人形、マトリョーシカはみなさんよくご存知のロシアの代表的な民芸品である。(省略)
日本のこけしに似ていると思っていたマトリョーシカのルーツが、日本の箱根の十二玉子の流れを汲む“七福神”ではないかという、ルーツ探しが日本で始まった。作家の大南勝彦さんの説では、ロシアのザゴルスクの玩具美術館に展示されている七福神の副禄寿がモデルという。箱根ルーツ説にはなるほどと思わせる裏付け要素が幾つもある。まず立地条件。山々に囲まれ木地師が多く住み、箱根細工と呼ばれる木工芸品を生んだ。寄木細工などは有名である。ろくろ技術も箱根から東北や他の地へ伝わっているという。一番上の玉子を割ると中からひと回り小さい玉子次から次へと出てくる入れ子の構造を持つ十二玉子は、1844年に刊行された滝亭鯉丈の滑稽本の中に出てくる。さらに箱根の塔之沢にはロシア正教会の流れを汲む日本正教会の避暑館があり、ニコライ大主教をはじめマトリョーシカを世に出したアブラムツェボ工房のマモントフ氏との親交のあったウラジーミル修道司祭もこの避暑館を訪れていたのだ。
ロシア側の文献によると、「ロシア民芸品‐ロシアのマトリョーシカ」(L.M.ソロヴィヨーヴァ インテルブック・ビジネス社’97年)、「マトリョーシカ‐マトリョーシカ色付けの教授法」(N.アレクサヒン著、国民教育出版社’98年)などいくつかあるが、どれもルーツが日本であることは一致している。ただ伝播のルートは見解がまちまちである。(以上)


≪情報≫
マトリョーシカ博物館はモスクワにあります。
ロシアに行く機会がある方は足を運んでみたらいかがでしょうか。


モスクワのマトリョーシカ博物館は2013年に閉じてしまいました。残念。
(モスクワ)
住所:Леонтьевский пер., 7/1.,(Leontievsky pereylok 7/1)
最寄駅:Пушкинская,Тверская (Pushikinskaya, Tverskaya)
電話番号: +7-495-691-9645, 691 7556
開館時間:月・火・水・木10:00~18:00 金・土10:00~17:00
ガイド付きで展示品を鑑賞したい方は事前に電話で予約が必要です。
*情報2009年8月24日現在 



ロシアのだまし絵

みなさま、こんにちは。


つい先日まで文化村ザ・ミュージアムで奇想の王国だまし絵展(2009年6月13日~8月16日)が開催されていましたね。

だまし絵は、絵画というよりエンターテーメント性が高く、楽しんで考えながら鑑賞できますよね。画家のサービス精神と遊び心、技術の高さが感じられます。

2003年建都300周年でサンクト・ペテルブルグで
だまし絵(?)が大活躍していたのでご紹介いたします。

目を凝らして↓の写真をご覧ください。
IMG_0034.jpg
2003年撮影


ネヴァ河沿いのサンクト・ペテルブルグ大学の建物です。


よ~く見ると右半分がおかしくありませんか?

そうです。だまし絵です。絵です。。。。

2003年建都300周年までに建物の色の塗り替えが間に合わず
巨大なだまし絵が登場しました。。。。

美的センスが高いと言って褒めるべきか、
仕事を計画的にできないと言うべきか、
難しいところですが、
話のネタにはなるので良しとしましょう。


友達と「なんだあれ~!??」と、驚いて笑ったものです。



しかし、生徒はかわいそうですね。
あんな巨大な絵が建物の目の前に建てられて教室は真っ暗の上、
美しいネヴァ河の景色も見えず、風通りも悪かったのではないでしょうか。

結構長い間(半年ほど?)、だまし絵は大活躍していました。


2003年建都300周年にサンクト・ペテルブルグにいらした方、
このだまし絵に気づかれましたか??


気づかなかった人が多ければ、作戦大成功ですね。



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ロシアのインテリア (モスクワのエリセエフスキー)

みなさん
いかがお過ごしでしょうか?

天気がいいと嬉しい半面、暑いですね。


今日はモスクワのエリセエフスキーという高級スーパーの内装をご紹介いたします。

超バブリーだったモスクワは、2005年にロシア帝国時代の高級商店「エリセエフスキー・マガジン(エリセエフの店)」トベルスカヤ通りを改装オープンしました。現在の内装は、ロシア帝国時代の内装に近づけ、とても絢爛豪華な姿になりました。
モスクワの「エリセエフスキー」は、他のお店と比べて少々高いものの、インテリアが美しいので、美術館にでも行った気持で、お買い物を楽しんでみると良いでしょう。
ちなみに、私はお菓子をいくつか購入しました。

エリセエフスキー・トベルスカヤ通り店の住所: トベルスカヤ通り14/1-1 
最寄駅: 地下鉄プーシキン駅、プーシキン広場出口から歩3分

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とても豪華なアールヌーボーの内装です。
色合いもとっても綺麗で、まるで美術館にいるようです。

≪エリセエフスキーについて≫

エリセエフスキーの正式名称は、エリセーエフ兄弟の商店です。
エリセエフ一家は帝国ロシアを代表する大企業家です。

このエリセエフスキーは、ロシア帝国時代の高級デパートで
1903から、当時の首都サンクト・ペテルブルグの一等地に店を構えています。
サンクト・ペテルブルグの本店は、
1902-1903年に建築家G.V.バラノフスキーによって建てられ、
正面は、彫像(A.G.アダムソン作)やステンドグラスが飾ってとても豪華です。


しかし、1917年のロシア革命によって、社会主義国家ソ連が誕生し、
貴族などのお金持ちの多くは、ヨーロッパなどに亡命しました。
エリセーフ兄弟も外国に亡命しました。

ソ連時代も、サンクト・ペテルブルグのエリセエフスキーの建物は、
名前を変えて国営のお店として活躍しました。
ソ連崩壊後は、「エリセエフスキー」と元の名前に戻し、食料品を売っていました。

留学中、友達がエリセエフスキーの近くに住んでいたため
フルーツやお菓子などを、頻繁に買いに行っていたのですが、
残念なことに現在は、裁判中でお店は3年ほど閉店しているそうです。


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1906年のサンクト・ペテルブルグのエリセエフスキー 「出典Wikipedia」


≪エリセエフスキーについて、市民が語り継ぐこんな話を聞いたことがあります。≫

ソ連時代になり、ソ連政府は、
エリセーエフ兄弟が残していったはずの莫大な財産を探しますが、
いくら探しても見つかりません。

ある日ソ連政府は、亡命したエルセエフの子孫に、
財産のありかを聞き出すため連絡をとりました。

子孫は、「もしその財産の5%を私にくれるのであれば、ありかをお教えしましょう。」と言いました。

政府はその条件をのみました。

すると、子孫は、「シャンデリアです。」と言いました。

政府が、当時もそのままもかかっていた巨大なシャンデリアを調べてみると、なんと、純金製のシャンデリアだったそうです。

エリセエフの子孫は約束通り財産の5%の十億円ほどを手にしたそうです。

(終わり)

この話が真実かは、分りかねますが、
「エリセエフスキー」はとても豪華で美しい建物です。


是非、モスクワに行く機会がありましたらのぞいてみてください。
サンクト・ペテルブルグのエリセエフスキーは、
外観だけでも見る価値はあるので、散歩がてら見てみてください。



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ロシアのお洒落なキャメルのコート

みなさま、こんにちは。

夏だと言うのに新型インフルエンザが流行っていますね。。。
手洗いうがいで予防しましょう。


ロシアのデザインについて。

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とても素敵なキャメルのコートですね。
もう冬のファッションのディスプレイでしょうか。
なんともオシャレ。

どこのブランドの服でしょうか。
Max Maraの様な・・・・



実はこの服、
サンクト・ペテルブルグのペトロパヴロフスク要塞内の
刑務所で実際に使用されていた囚人服です。

服のデザインもディスプレイもオシャレだと思ってしまうのは私だけでしょうか?


ロシアはデザインが可愛いものが多い国ですが、
囚人服まで素敵だとは驚きです。


オシャレに見えるは時代が違い平和だからでしょうか。


ロシアのレース(4) ヴォログダレース

みなさま、おはようございます。

なんだか少し涼しくなりましたね。

前回のヴォログダ・レースの続きです。
ロシアで最も人気のヴォログダレースの作品をご紹介いたします。


ヴォログダレースの作品

ヴォログダ7

ヴォログダ4


vorogdawww.cultinfo.ru 6


ヴォログダ5
上写真4枚:ヴォログダ地方の文化www.cultinfo.ru許可を得て掲載しています。



ヴォログダ1 「出典Wikipedia」

ヴォロ1 「出典Wikipedia」

ヴォロ 「出典Wikipedia」

大作ばかり並べましたが、ヴォログダ・レースってどんな図柄でも編めるんですね。
それにしてもこれらの作品を編むのに何年かかるのでしょうか。。。。
手編みだと思うと、気が遠くなりますね。


それにしても美しい。。。。。
くねくねしてるオーナメントがなんとも可愛いです。

ロシアで最も人気で愛されているレースということが理解できますね。


vorogdawww.cultinfo.ru 4

vorogdawww.cultinfo.ru 5
*上の写真2枚:ヴォログダ地方の文化www.cultinfo.ru
許可を得て掲載しています。


ヴォログダ市では、女性のファッションアイテムも多種多様に販売していました。
ヴォログダレースのボレロやジャケット、ケープやストールなども、とても美しいです。




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ロシアのボビンレース(3) ヴォログダ・レース

みなさま、いかがお過ごしでしょうか?

夏バテなどしてないでしょか?

私は夏バテしております。


ロシアでレースと言えば、
「ヴォログダ・レース」です。

ロシアで最も愛されているレースでソ連時代切手になりました。

ヴォログダレースの切手
「出典wikipedia」

現在でもヴォログダでは、レースが編まれ続けています。
ヴォログダ市にの中心にヴォログダ・レースの博物館が建設されるそうです。
ヴォログダレースはその人気から写真集も出版されています。



≪ヴォログダ・レースの歴史≫

ヴォログダ市はモスクワの北西部約600キロメートルに位置する古都です。ヴォログダ市の歴史は12世紀に始まりますが、今日まで北方の古い伝統文化を守り続けています。

ヴォログダ・レースが、いつヴォログダの地で編まれるようになったか、また、なぜヴォログダの地で、これほどにまでにレース編みが愛され流行したのかについては、まだ解明されていません。考えられる理由は、ヴォログダはリネン栽培が盛んであったことと、北から南への通商路であったということです。

ヴォログダ・レースの特徴は、17世紀‐18世紀には出来上がっていましいた。
19世紀までレース編みは家で編む程度の手仕事でしたが、1820年代にヴォログダ近郊で、何十人もの農奴の娘がレース職人として働くレース工房ができました。
19世紀中ごろには、ヴォログダ・レースは、様々な地区で数千人のレース職人が働く産業に成長しました。
レース編みは、特にヴォログダ地区や カジニコフ地区、グリャゾヴェツ地区で発展しました。
ヴォログダ地方のレース編みは19世紀後半に最盛期を迎え、1893年に4000人のレース職人が働いていたとすると、1912年には40000人に増えました。

ヴォログダ・レースはヨーロッパの国々で流行し、南アメリカや日本を含む多くの国に輸出されました。
また、国際展覧会やロシア国内の展覧会で幾度となく紹介され、受賞しています。


≪ヴォログダの街をご紹介≫
とても良い雰囲気の街でした。街の中心には教会が立ち並ぶ広場があり、高い建物は少なく、2階建ての可愛い家が多く残っていました。小さい街なので歩いて行動できます。
街から少し離れたところに修道院があります。

2009年3月 ベラルーシ、ロシア 096
ヴォログダ駅
2009年3月 ベラルーシ、ロシア 100


2009年3月 ベラルーシ、ロシア 097


2009年3月 ベラルーシ、ロシア 080
古い教会が立ち並ぶ広場

2009年3月 ベラルーシ、ロシア 084
丁度「マースレンニッツァ(バター祭り)」という春のお祭りでした。
このお祭りの時期は、ロシアのクレープを食べます。
最後に左に立ってる女の子の藁の人形を燃やし、冬とお別れします。

2009年3月 ベラルーシ、ロシア 082
自分で編んだレースを売っているおばあちゃんが沢山いました。
やっぱりヴォログダと言えばレースなんですね。

2009年3月 ベラルーシ、ロシア 085
お店にはレースがいっぱいありました。
ストールやジャケットなども売っていました。

2009年3月 ベラルーシ、ロシア 098
ボビンレースの道具もお店に展示してありました。


2009年3月 ベラルーシ、ロシア 105
カフェ

2009年3月 ベラルーシ、ロシア 015
クマさんがお茶してるディスプレイが可愛いですね。

2009年3月 ベラルーシ、ロシア 103
パンが美味しそうです。

2009年3月 ベラルーシ、ロシア 104
ケーキも美味しそう。


2009年3月 ベラルーシ、ロシア 076
旧ソ連圏のホテルのシングルベットは、小さいことが多いです。
大きなロシア人がこの小さいベッドで寝れるのかいつも不思議に思います。

2009年3月 ベラルーシ、ロシア 077
2009年3月 ベラルーシ、ロシア 079
宿泊したホテル。
他のソ連っぽい老舗のホテルよりもリーズナブルで、とても親切でした。
ただ駅からは少し遠いですが、教会が立ち並ぶ広場には近いです。
ヴォログダに行くことがあればお勧めです。
Hotel Angriter : www.angliter.ru

レースに興味がある方で、ロシアに行かれる方は
ぜひヴォログダにも足をのばしてみてはいかがでしょうか。
モスクワから寝台車9時間ほどで行けるので夜乗って、朝には着きます。



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